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Posts Tagged ‘イヴァン・イリイチ’

Deschooling Society, by Ivan Illich

Many students, especially those who are poor, intuitively know what the schools do for them. They school them to confuse process and substance. Once these become blurred, a new logic is assumed: the more treatment there is, the better are the results; or, escalation leads to success. The pupil is thereby “schooled” to confuse teaching with learning, grade advancement with education, a diploma with competence, and fluency with the ability to say something new. His imagination is “schooled” to accept service in place of value. Medical treatment is mistaken for health care, social work for the improvement of community life, police protection for safety, military poise for national security, the rat race for productive work. Health, learning, dignity, independence, and creative endeavor are defined as little more than the performance of the institutions which claim to serve these ends.

『脱学校の社会』. イヴァン・イリイチ (著), 小澤 周三 (翻訳)

多くの生徒たち、とくに貧困な生徒たちは、学校が彼らに対してどういう働きをするかを直観的に見抜いている。彼らを学校に入れるのは、彼らに目的と目的を実現する過程とを混同させるためである。目的と過程との区別が曖昧になると、新しい論理が採用される。手をかければかけるほど、よい結果が得られるとか、段階的に増やしていけばいつか成功するといった論理である。このような論理で「学校化」されると、生徒は教えられることと学習することとを混同するようになり、同じように、進級することはそれだけ教育を受けたことだと、免状をもらえばそれだけ能力があることだと、よどみなく話せれば何か新しいことを言う能力があることだと、取り違えるようになる。彼の想像力も「学校化」されて、価値の代わりに制度によるサービスを受け入れるようになる。医者から治療を受けさえすれば健康に注意しているかのように誤解し、同じようにして、社会福祉事業が社会生活の改善であるかのように、警察の保護が安全であるかのように、武力の均衡が国の安全であるかのように、あくせく働くこと自体が生産活動であるかのように誤解してしまう。健康、学習、威厳、独立、創造といった価値は、これらの価値の実現に奉仕すると主張する制度の活動とほとんど同じことのように誤解されてしまう。

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In these essays, I will show that the institutionalization of values leads inevitably to physical pollution, social polarization, and psychological impotence: three dimensions in a process of global degradation and modernized misery

私は以下の拙論において、人々が価値の制度化をおし進めていけば必ず、物質的な環境汚染、社会の分極化、および人々の心理的不能化をもたらすことを示そうと思う。この三つの現象は、地球の破壊と現代的な意味での不幸をもたらす過程の三本柱なのである。

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Schools are designed on the assumption that there is a secret to everything in life; that the quality of life depends on knowing that secret; that secrets can be known only in orderly successions; and that only teachers can properly reveal these secrets. An individual with a schooled mind conceives of the world as a pyramid of classified packages accessible only to those who carry the proper tags.

学校は、次のような仮定に基づいてつくられている。第一は、人生の何事にも秘訣があるということ、第二は、人生の質はその秘訣を知っているかどうかによって決まるということ、第三は、その秘訣とは秩序のある過程を連続的にたどることによってのみ知りうるということ、第四は、教師だけが適切にこれらの秘訣を明かすことができる、という仮定である。学校化された精神をもつ人は、世界を分類されたパッケージからなるピラミッドとみなし、ふさわしい価格札を持った人のみがそれに近づけると考える。

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A second major illusion on which the school system rests is that most learning is the result of teaching. Teaching, it is true, may contribute to certain kinds of learning under certain circumstances. But most people acquire most of their knowledge outside school, and in school only insofar as school, in a few rich countries, has become their place of confinement during an increasing part of their lives. Most learning happens casually, and even most intentional learning is not the result of programmed instruction. Normal children learn their first language casually, although faster if their parents pay attention to them.

学校教育の基礎にあるもう一つの重要な幻想は、学習のほとんどが教えられたことの結果だとすることである。たしかに、教えることはある環境のもとで、ある種類の学習には役立つかもしれない。しかしたいていの人々は、知識の大部分を学校の外で身につけるのである。人々が学校の中で知識を得るというのは、少数の裕福な国々において、人々の一生のうち学校の中に閉じ込められている期間がますます長くなったという限りでそう言えるにすぎない。ほとんどの学習は偶然に起こるのであり、意図的学習でさえ、その多くは計画的に教授されたことの結果ではない。普通の子供は彼らの国語を偶然に学ぶのである―両親が彼らに注意していればより早くはなるであろうが。

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Things, models, peers, and elders are four resources each of which requires a different type of arrangement to ensure that everybody has ample access to it.

I will use the words “opportunity web” for “network” to designate specific ways to provide access to each of four sets of resources. “Network” is often used, unfortunately, to designate the channels reserved to material selected by others for indoctrination, instruction, and entertainment. But it can also be used for the telephone or the postal service, which are primarily accessible to individuals who want to send messages to one another. I wish we had another word to designate such reticular structures for mutual access, a word less evocative of entrapment, less degraded by current usage and more suggestive of the fact that any such arrangement includes legal, organizational, and technical aspects. Not having found such a term, I will try to redeem the one which is available, using it as a synonym of “educational web.”

What are needed are new networks, readily available to the public and designed to spread equal opportunity for learning and teaching.

事物・模範・仲間および年長者が、学習に必要な四つの資源である。すべての人がそれを充分に利用することができるようにするためには、その一つ一つは、異なったタイプの取り合わせを必要とする。私は、四つの資源のいずれをも利用可能にする特別な方法を表すものとして、「ネットワーク」の代わりに「機会の網状組織」ということばを用いよう。不幸なことには、「ネットワーク」ということばは、教化するとか、人に教えるとか、あるいは人を楽しませるなどのために、他人によって選び出された材料を送るための経路を意味するものとしてしばしば用いられる。しかし、それはまた主として相互にメッセージをやりとりしようとする人が利用する電話や郵便事業をさすものとしても使われる。私は、相互に利用できるそのような網状の構造を示すものとして別のことばがあればいいと思う。つまり、誤解を生み出すようなことがより少なく、現在の用法によってあまり品位を下げられたものではなく、また、そのような資源の取り合わせには、法律的、組織的、および技術的側面があるという事実をもっとよく示すことばがあればよいと思う。そのようなことばがまだ見当たらないので、私は、「教育のための網状組織」の同義語としてネットワークということばを用いながら、足りないところは補い、利用可能なものとしたい。必要なのは、公衆が容易に利用でき、学習をしたり、教えたりする平等な機会を広げるように考案された新しいネットワークである。

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脱学校論: … イリッチは、学校を「特定の年齢層を対象として、履修を義務づけられたカリキュラムへのフルタイムの出席を要求する、教師に関連のある過程」と定義し、学校制度が、制度が価値を産み出す、価値は測定されうる、価値は詰め込まれる、人間は無限に進歩するといった神話を制度化し、神話と現実の相違を隠蔽しながら再生産するものであるとした。そして、学校制度によって人間は制度に依存し、孤立化し、疎外され、自主独立的に成長することを不可能にされているとし、学校制度を解体して、公衆が容易に自主的にそして平等に利用できる学習のための新しいネットワークを形成することを提案した。 ….

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脱学校社会: 学校の機能不全、教育の危機を前にして1960年代以後、多くの教育改革論が主張されたが、その代表が生涯教育論と脱学校論とである。イリッチのつくったこの語は、現代の学校への最も徹底的な批判として多くの共鳴を得た。脱学校論者によれば、学校イコール教育、学校は永遠不滅だとする観念は根本的に誤っており、学校は多くの失敗と過失を生み出してきた。学校は権威に服従する大衆、反復作業や規則に従順な労働者をつくり、パスポートとしての学歴を発給し、青少年にレジャーを与え、不平等を拡大再生産する機関であり、強制収容所、工場、レクリエーション施設化している。このような学校を否定し、解体して、自発的な学習意思にもとづいた積極的な学習のネットワークによって構成されるのが、脱学校社会である。学校教育を否定しない生涯教育論では、これを学習社会という。脱学校論は、学校だけでなく社会全体の徹底的改革を主張する。

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